黒ビール(ジェイムズ・ジョイス『ダブリン市民』)
“そこでジョウは黒ビールを一本あけようかときき、またどねりー夫人はポート・ワインもあるからそのほうがよろしければ、というのだった。”(ジェイムズ・ジョイス『ダブリン市民』の「土くれ」より)
クリーミーな泡が特徴。
20世紀の最も重要な作家の1人と評されるアイルランド出身の小説家、ジェイムズ・ジョイス(1882-1941)の代表作から。『ダブリン市民』のなかの小品は一部、映画化もかつてされました。
ジョイスの多くの作品はアイルランドでの経験で構成されています。本作もそのひとつです。アイルランドはイギリスの隣に位置する小さな国ですが、世界的な人気を誇る黒ビール、ギネス(GUINNESS)が生まれた国。アイリッシュウイスキーも有名です。
作品の舞台のダブリンは1756年のギネス創業の地で、黒ビールが物語の情景にたびたび登場します。ジョイスの作品では、黒ビールは本作だけでなく、『ユリシーズ』にも登場しています。
ちなみに、黒ビールという名称は日本流です。ビールの種類としてはスタウトと呼ばれ、ピルスナーやラガー、エールなども、同じく種類の名称。黒くなるまでローストした大麦が使用されていることが多いようです。海外で機会があれば、ブラックビールではなく、スタウトと注文してみてください。
フィッシュ・アンド・チップス(玉村豊男『てんぷらの分類学』)
“東欧の例のほかにもうひとつつけ加えるならば、イギリスのフィッシュ・アンド・チップスというのがある。
これは町なかの屋台店のようなところで、店先で揚げたてのを紙にくるんでもらって立ち食いするスナックでもあれが、安食堂のメニューにもよくのぼるし家庭でもつくる、白身肴の切り身のてんぷらに、チップス ー フレンチ・フライド・ポテトのことを英国人はこう呼ぶ ー を添えたものだ。”(玉村豊男「てんぷらの分類学」の『料理の四面体』より)
フィッシュ・アンド・チップスが日本ではまだ珍しかったことが紹介する文章から伺えます。
玉村豊男(1945-)のエッセイから。最初から最後まで料理について語られていますが、実践的な調理本でも、美味しいものを紹介するのとも違って、“一般的原理”を探るちょっと変わった本です。
ひょっとしたら、エッセイストの姿よりは、約10年前まで生放送されていた毎週土曜日のTBSの夜のワイドショー番組『ブロードキャスター』のゲストコメンテーターとしての玉村さんのほうが馴染みがあるかもしれません。
あるいは、軽井沢あたりの旅行で足を少し延ばした経験のある方にとっては、信州で玉村さんが経営するワイナリー、ヴィラデストガーデンファームアンドワイナリーのオーナーとしての顔かもしれません。
玉村さんは海外経験が豊富でパリには留学されたご経験があり、日本の大学でも仏文科を卒業されています。その後は通訳や翻訳業を経て、エッセイストになられました。
そんな彼のエッセイは、ヨーロッパの流儀が紹介されたものが数多くあり、海外旅行が高嶺の花だった時代ですから、読者は心躍らせて読んだことと想像されます。
私自身も、大学時代にフランス留学した際には手引書として読みふけりました。さっそく現地のカフェへ行って、たばこを吸った後に吸い殻の入った灰皿を裏返しにしてみたりして。これは確か、お会計をするときのギャルソンへの合図だったと記憶しています。
もっとも、玉村さんが留学していたのは1968年頃で、私が留学したのは2000年です。そのような習慣はすでになくなっていたようで、無意味にテーブルを汚しただけの客となり、バツの悪い思いをしました。
ミートソース茶漬(村上春樹『食物の好き嫌いについて(3)』)
“だいたいどうしてうどんの中にわざわざカレーとかコロッケみたいな明らかに異なったライン上にあるものを放り込まなくちゃならんのか、僕にはまるっきり理解できない。そんなことを許しつづけていたら今に「ミートソース茶漬」なんてところにまで突っ走らねばならないのではないか?”(村上春樹『村上朝日堂』の「食物の好き嫌いについて(3)」より)
うまい。トマトがさわやかで食欲のないときでもさらさらイケると思います。あっさりしたリゾットみたいな感じです。パルメザンチーズをかけたら一層美味しそうです。スプーンでどうぞ。
村上春樹(1949-)のエッセイから。カレーうどんやコロッケうどんには手を出す気にはなれないと語られるなかで登場する“ミートソース茶漬”。
食べたくないタイプの料理のいわば進化例として挙げているのですが、その意外な組み合わせのインパクトからなのか、ハルキストと呼ばれる村上春樹ファンの間でどんな味なのか話題に出ることがしばしばあるようです。ちょうどミートソースを作ったので物の試しに食べてみました。
鍋はルクルーゼのココット・ジャポネーズという浅型タイプなのですが、鍋物、たとえばおでんもこれで作っています。ある程度保温されるので、テーブルにカセットコンロを準備せずに鍋敷きをしいてどーんと置いたりも。便利です。ミートソースは、夏は果実味があってあっさり仕上がるホールトマト缶で、冬はこっくり仕上がるカットトマト缶で作っています。
こしょうは、ジェイミー・オリバーのミル付きこしょうが好きです。チリやBBQなど他のシーズニングもジェイミーのブランドをささやかに信仰しています。
RECIPE
ミートソース茶漬(1人前)
ごはん・・・・・・1膳分
ミートソース・・・お好みで
だし・・・・・・・適量
胡椒・・・・・・・少々
HOW TO COOK
1.お茶漬にかけるだしを作る。顆粒だしを溶いたものや白しょうゆを希釈したり、なんでもOKです(いろいろ迷いましたが、煎茶ではなくだし茶漬のほうが相性が良さそうです)。
2.あつあつのごはんに、ミートソース、1をかけて、こしょうをふる。
ビーフ・ステーキ(村上春樹『ビーフ・ステーキ、ビーフ・ステーキ』)
“僕が好きなのはごくシンプルなステーキである。頃合のいい上等な美味い肉をさっと手際良く焼き、肉汁をにがさないように上からかけただけのシンプルこのうえないステーキである。味付けは軽く塩・胡椒くらいでいい。” (村上春樹『村上朝日堂はいほー!』の「ビーフ・ステーキ、ビーフ・ステーキ」より)
箱根・強羅のイトウ ダイニング バイ ノブ (ITHO DINING by NOBU)のステーキランチ。村上さんの故郷、KOBE BEEFが味わえます。
1983年から1988年にわたり雑誌連載された村上春樹(1949-)のエッセイから。以前の記事でもこの『村上朝日堂はいほー!』からデニーズを投稿させていただきました。
村上さんは神戸牛のふるさと、神戸生まれ。お肉はあまり好きじゃないそうですが、二カ月に一度くらい無性に食べたくなるそうです。本作では、神戸のステーキハウス(お店の名前は特定されず)から、ギリシャで地元の葱を炒めて食べたステーキの味、アトランタのバーで食べたステーキ、小説に出てくる美味しそうなステーキに話が及んでいます。
読者もステーキが食べたくなるエッセイです。
望郷シーナスパゲティ(椎名誠『ひるめしもんだい』)
“ひところキャンプ料理で、スパゲティ料理にいたく凝り、いく日かの不屈の闘魂によってついに「望郷シーナスパゲティ」というものを完成させた。つくり方は簡単で、よく茹でたスパゲティを皿に盛りいきなり大量のカツオブシをコレでもかコレでもかと叫びつつばさばさふりかける。あついスパゲティにふりかけられたカツオブシはおかしなことにそこでわらわらと身をよじって踊るのだ。数秒それを眺めたのち続いてすぐにマヨネーズのチューブをサカサにし「コノヤロコノヤロ」と叫びつつ、ぐにょぐにょとまんべんなくひねり落下させる。次に「ドーダドーダ」と叫びつつショー油を注ぎ、間髪を入れず全体をごちゃごちゃにかきまぜて食ってしまうのだ。” (椎名誠『ひるめしもんだい』より)
かつおぶしがゆらゆらします。文句なしにウマい。
椎名誠(1944-)のエッセイから。栄養面、健康面での批判が降り注ぎそうな、これぞ男のめしという感じの一品です。体に悪いそうなものって、なんでこんなにおいしいんでしょうか。
遠目且つ薄目ではお好み焼き風に見えます。
RECIPE
望郷シーナスパゲティ(1人分)
乾燥パスタ ・・ 100g
マヨネーズ・・・お好みで
しょうゆ・・・・お好みで
かつおぶし・・・お好みで
HOW TO COOK
1.水を沸かし、沸騰したら、パスタと塩を加えて茹でる。
2.茹でたパスタに、マヨネーズとしょうゆとかつおぶしの順で落下させる。
POINT
椎名さんは、かつおぶし→マヨネーズ→しょうゆ の順ですが、見栄えが気になる方はレシピのようにかつおぶしを最後にすると良いです。また、しょうゆはキッコーマンのいつでも新鮮シリーズだと、一滴ずつでるので目分量でも調整しやすく、見栄えもなんだか洒落たソースみたいになります。
麻婆豆腐(朝吹真理子『きことわ』)
“永遠子は、麻婆豆腐を炒めながらウイスキーをひと匙ふりかける。それは春子に教わった調理法だった。”(朝吹真理子『きことわ』より)
ウイスキーをひと匙ふりかけた味は、劇的な変化はありませんが中華からほんの少し洋風になった味わい。
朝吹真理子(1984-)の第144回芥川龍之介賞受賞作から。朝吹さんの家系は、実業家、政治家、文学者、詩人を数多く生んでいる華麗なる一族。本作は葉山の“別荘”を舞台にした小説です。
奇しくも、大叔母でフランソワーズ・サガンの翻訳で有名な朝吹登水子のエッセイ『豊かに生きる』では、登水子さんが軽井沢の“別荘”で、名家の人々や外国人家庭教師と過ごした幼少期の思い出が記されています。私こそ知的であり厚遇されているというエピソードを中宮定子を通じて描いた清少納言の『枕草子』を彷彿とさせます。私の洗練されたセンスがお分かりになって、という筆致と言いましょうか。
お金持ちの習慣や思考を解説・分析したビジネス書がベストセラーランキングに連なったりしますが、『豊かに生きる』も『枕草子』も、華麗な貴族、一族の暮らしぶりを知るには、お金を払ってまで読む価値のある自慢話です。庶民には書けません。
ひがみはこのあたりで『きことわ』に話を戻しますが、別荘解体をきっかけに主人公と幼馴染が再会し、二人ならんでキッチンに立ち、料理を作るシーンで、麻婆豆腐にウイスキーをふっていて、いつかやってみたいと思っていました。
英王室御用達のスーパー「Waitrose」ブランドのブレンデッドウイスキーを使用しました。¥2,030 税込でイオンリカー四谷店で購入。インターナショナルワイン&スピリッツ2014金賞受賞です、と勧められて。
RECIPE
麻婆豆腐(2人分)
木綿豆腐 ・・・・・・・・・・ 1丁
豚ひき肉・・・・・・・・・・・70g
長ねぎ・・・・・・・・・・・・1/2本
しょうが・・・・・・・・・・・1かけ
豆板醤・・・・・・・・・・・・小さじ1
ごま油・・・・・・・・・・・・適量
ウイスキー・・・・・・・・・・ひと匙
合わせ調味料(あらかじめ混ぜ合わせておく)
しょうゆ・・・・・・・・・・大さじ2
みそ・・・・・・・・・・・・大さじ1
酒・・・・・・・・・・・・・大さじ1
鶏ガラスープの素(顆粒)・・小さじ1
水・・・・・・・・・・・・・1カップ
片栗粉・・・・・・・・・・・大さじ1
HOW TO COOK
1. 水気を切った豆腐はさいの目切りに、長ねぎは小口切りに、しょうがは千切りにする(鼎泰豊の小籠包のたれについてくるしょうがくらいのイメージ。スライサーだとやりやすい)。
2. 豆板醤を香りが立つまで炒める。ごま油を引いて豚ひき肉を炒め、色が変わったら、長ねぎとしょうがを入れる。
3. 全体的に油が回ったら、合わせ調味料を加えてひと混ぜし、豆腐を静かに入れて2-3分中火で煮る。
4. ウイスキーをひと匙ふりかけ、火を止める。
フライド・ポテト(村上春樹『風の歌を聴け』)
“ジェイは僕にビールを何本かごちそうしてくれ、おまけに揚げたてのフライド・ポテトをビニール袋に入れて持たせてくれた。”(村上春樹『風の歌を聴け』より)
小説に触発されて昼間からビール。おともにフライド・ポテトを気軽に頼んだら、すごい量が。
1979年に村上春樹(1949-)が30歳のときに発表したデビュー作から。小説の終盤、帰省先の港のある街から東京へ夜行バスで戻る主人公「僕」に、バーのマスターのジェイが持たせるのがフライド・ポテト。ちなみに、以前の記事で取り上げた「コンビーフのサンドウィッチ」を作ったのもジェイです。いずれもビールのつまみに合うものです。
大繁盛しているとは言えなさそうなジェイのお店ですが、仕込みのために毎日バケツ一杯の芋を剥いているのでフライド・ポテトのオーダーが多いのかもしれません。彼の作るフライド・ポテトはきっとおいしいのだろうなと想像させます。ビニール袋で持たせるところに妙な現実味があって、思わず生唾をゴクリと飲み込んでしまいます。